Period

ひとまずの休止点。
ピリオドになるのか、カンマになるのか

今日はオシドリ良品店で器とフェルトの展示があったので、見に行った。鍋敷きにできる厚手のフェルトを手に入れた。
それからオシドリのご近所の古書ワルツを初訪問。
場所もそうだが尖った店だなあ…再訪確定。

お昼になったので、青梅で一番うまい蕎麦を出す(俺調べ)、梅の内へ。
ここはいつもは一九なんだが、今日は十割そばを打ったということで、十割の天せいろをいただく。いつもの瑞々しさはそのままに、少しグレードアップした感じ。行って良かった。
海老の天麩羅もいつもよりうまく揚がっていた。
梅干しの天ぷらは、要るのかどうかわからん…

家に戻り、車を置いてからねじまき雲へ。
ねじまき雲は昨年いっぱいで通常営業を終了し、来る新展開に向け店舗休業中。ただ常連さんだけは今月中は入ることができたのだ。僕は自分ちの冷蔵庫にある豆も消費せにゃならんのでなかなか通えなかったのだけど、常連の条件にぎりぎり入っていた。

明日31日がオーラスとなるが、本物の常連ではない僕は遠慮するつもりなので、今日が僕のねじまき最終日。
いつもは頼めなかったオレコニャック(カフェオレ+コニャック、糖蜜つき)も頼み、堪能してきた。
ちょうど来店されていたかうひい堂さんとねじ君とのお話に混ぜてもらい、なにやらすてきなスコッチウイスキーもご馳走になり、幸せ。

グレッグ・イーガン『万物理論』(原題:DISTRESS)

ディアスポラは幾何数学ネタだったがこれは物理ネタ。ただし物理部分はそれほど記述が多くなく、ディアスポラのヤチマ内向シーンのように文章にしにくいものでもないのでスラっと読める。ディアスポラ(1997)より古い(1995)。 “グレッグ・イーガン『万物理論』(原題:DISTRESS)” の続きを読む

きだみのる 気違い部落周遊紀行

小説「気違い部落の青春」がたいへん良かったので、きだみのるの代表作と言われる「気違い部落周遊紀行」を購入してみた。冨山房百科文庫から出ており、絶版にはなっていない。こちらはルポルタージュの体裁を取ったもので、小説ではない。毎日出版文化賞受賞。

内容としては田舎を通じて都会を知ろうというもので、なかなか興味深く読めるものの「~の青春」を読んでしまっているとネタ帳を読んでいるような気になる。どちらかを勧めるとしたらやはり私は「~の青春」のほうを勧めたい。というのは、この「周遊紀行」に出てくる人物は実在の人物で、また地名もしかりであるので、いかに社会学的見地から興味深い事例であってもさすがに実名で書くのはやりすぎなのではないかと思わざるを得ないような記述が散見されるため。著者の意図は十分わかるのだが、おもしろいと思いつつもどうにも書かれた方が気の毒になってしまう。気違い部落と銘打たれた部落の人たちが、都市の人間から見ていかにおかしなことをしているか、しかしおかしいように見えてもそれは自分に当てはめてみれば同じようなことをしていないか、そういう構造を持っているのだけど、読者のすべてがそう理解してくれるものばかりではなかろうし、また読まないで笑うものも多かっただろう。この本の出版後部落の人とうまく交流できなくなった、とご子息が後書きに書いておられるが、それはそうなるだろうと思える。ただ、それもまた「俺たちの悪口でもうけやがって」という妬みの構造を持っていると解釈できるところが、この本のおもしろいところではあるのだが。

そんなわけで私はどちらが先、と問われたら、小説のほうをおすすめします。

気違い部落の青春

「きだみのる自選集1」を国立(くにたち)図書館で借りてきて読んでいます。G君に薦められていたもので、 このなかの「マルと弥平」を推されていたのだけれど「気違い部落の青春」という長編がすばらしい。(「マルと弥平」もおもしろいんだけどね)

この題名、このご時世ではさぞ割を食うだろうと思ったが案の定絶版になっている。この本が絶版になった理由は詳しく知らないし、「言葉狩り」についてはここでどうこう言うつもりはないけれど、しかしその内容はあまりに美しく瑞々しい。ラストのあしらいかたについては若干の残念さが残るが、決して絶版にして良い本ではない。著者きだみのるが亡くなったのは1975年。2025年になったら青空文庫に載せるためにタイプしようかしら。

時代は第二次大戦後、場所は東京、南多摩。山の部落に生まれ育った主人公がその少年~青春時代を通じて広い「世界」に触れていく物語だ。「多摩の山々に抱かれた、狭く湿度の高いムラ社会」と「都会と世界の広く風通しの良い乾いた景観」とのあいだで美しい自然描写と少年の成長が描かれる。
僕は西多摩で育ったのに、なんでいままで誰もこれを推薦してくれなかったのだろう?国分寺以西の高校生はPSPとモンハンを売り払ってでも読むべきだ。

閑話休題。どうでもいい話だが、物語のなかごろで登場人物が「アカハタは社会をわかるために読んでおく方が好いと思う」といって新聞赤旗を読むシーンがある。私は高校で出会った同級生のK君を思い出さずにはいられなかった。彼は同じ理由でアカハタではなくゲンダイを読んでいた。高校ではサンデーやマガジン、スピリッツといった漫画雑誌がクラスに2,3冊ずつは購入され学級文庫としてクラス内を回覧されるのだが、それに混じって私たちのクラスでは毎日ホチキスで平綴じされた日刊ゲンダイが回っていたのだ。K君は政治家志望であったと思うので、きっといつか政界に新風を吹き荒らしてくれると期待している。おそらく彼の政党はあらゆる権威を否定しながら風俗嬢を優遇するだろう。

さて作品に戻ろう。このあとは、読む予定があるなら読後にどうぞ。 “気違い部落の青春” の続きを読む

DIGAのリージョンフリー化

Palm Vx昨晩わが家のDVD・HDD・VHSレコーダー兼プレイヤーがリージョンフリーになりました。(リージョンとはDVDやゲームなどにかけられている視聴地域を制限する地域コードのことで、日本はリージョン2になります。北米地域や欧州地域のDVDを見るためにはリージョンコードに適合するプレイヤーか、リージョンコードを無効にしたプレイヤーを用意する必要があります。)
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飛浩隆「グラン・ヴァカンス 廃園の天使 I 」

02年の作品ですが、海外SFばかりではなく日本ものも読まないとなと思って先日購入したもの。この続編の「ラギッド・ガール」というのが06年に出ていて日本SF界ではえらく評判なんですが、まだハードカバーしかないみたいなので(僕はハードカバーは読みにくいしかさばるのでどうしようもないとき以外は買わない)こちらにしました。

感想;特別面白くはないがそれなりのSF。他人におすすめはしない。
特記事項;文章の速度が体に合わない

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土佐日記

男もすなる日記といふものを女もしてみむとてすなり

横浜まで仕事で行く用事があったので文庫本で半分ほど読んでみた。
そのままでは書きづらい事柄を女性の筆に仮託した貫行。文学史的に史学的にいろいろと理由を推測することはできようが、ネカマの奔りだったのでは・・・というのは言い過ぎか。でも今でも、自分では言いづらいことを他人になりすまして書くことってありますよね。(自作)自演て言いますが。

VIPのみんながblogやってるからうちもやってみるお⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン

というような、、、やりすぎか。

突然でございますが、実は貴方様に、天皇になって欲しいのです。」というスパム(迷惑メール)

あるいは北斎の触手春画が思い起こされます。

でも土佐日記自体は和歌満載でかなり面白い読み物だということがわかりました。古語の細かい解説は読書のテンポを大きく削ぐため、表現の注釈はすっとばしています。

和風テキスタイルが気になる

仕事でちょっと使うというのもあるんだけど、意匠が気になって

これを買ってみた。かっこいい。

流し読みしてみたけれど、テキスタイル(織物とか布地系のデザイン)だと光琳風デザインは友禅・小袖に応用されてはいるが本人が手がけたものは少ないようだ。もとが屏風や硯箱など平面を悠々と使うカンバスであるだけに、テクスチャとして見ると使いにくい。今考えている利用法には合致するけど汎用性は少なそうだ。