朝起きてみると、現場はこのようになっていました。昨晩わりと騒々しかったので徹夜の撤去作業が続いていたのは知っていたのですが、消防車とパトカーが一台ずつ、消防署員が数名と警察官が一名今朝も作業をされておりました。頭が下がりますね。
寄ってみると畳の山。消し炭の臭いが充満しています。やはり畳屋さんでしたね。昨晩寝る直前のam3時頃、別の場所でサイレンが鳴っていたようですがもしかして連続放火だったりするのかもしれません。
既に自宅へ帰るときの目印として活躍している鉄塔と高圧線はなんとか無事のようです。碍子(がいし)も朝日にきらきらと光っています。
父さん、事件です
しばらく更新してませんでしたが
新居の生活を楽しんでいます。
エスペランサの撤退状況は後で日記にしておきますが、今月起こったことを簡単に。
まず10月の頭には庭のキンモクセイが一斉に開花しました。
咲くのが遅いので匂いの薄いギンモクセイかと思っていたのですが、どうやらきれいな橙色がついていますのでキンモクセイだったようです。この頃は晴天が多く、日中の和室の心地よさは素晴らしいものがありました。
しかし秘やかな秋の訪れを愉しむ間もなく、台風がやってきて落花してしまいました。
一夜にして。
この頃アメリカから茂の友達のMeguたちが来て4~5人で引越パーティをしましたが、和室は布団だらけで変な修学旅行のようになっていました。僕は徹夜続きで歩きながら寝そうになっていたのでその日の写真はありません。
そして月末、本日26日を無事迎えたわけですが、23時頃この静かすぎる住宅地にサイレンと喧噪がやってきました。
左手に見える建物がうちのアパートです。
記憶にある近所の火事は3度目ですが、今回が一番近い。
上空の高圧線にもかなりかかっていて、焼き切れやしないかと心配でした。
裏手に回るとこの通り。4軒隣の畳屋さんが火元だったようです。風が強く、風向きが明らかに我が家の方向へ向かっていましたので、とりあえず身の回りの貴重品を身につけまして、いよいよやばくなったらPC本体を持って出ようと考えていました。延焼しそうな雰囲気でしたが気付いたときには既に消防車が来ていましたのでまもなく鎮火しました。
引越完了
やっと引越が終わりました。引越と月末の仕事で忙殺され、日記どころではありませんでした。当然走ってもいません。また太ってきました。
この写真は9/28のもの。退去まであと二日と迫っているというのにこの状態。本当に終わるのか?と思ったときの咄嗟の一枚。
和室・洋室はまあなんとかこんな感じまでにはなっています。
半日国立で仕事をして半日西荻で掃除をする滅茶苦茶な日々が数日続き、29日にはなんとかここまで整理がつきました。この日は朝から有村が手伝いに来てくれたので、DKもかなり片づきました。
DKの様子。この人影は有村。29日は西荻に泊まりませんでしたが、航が来て洋室やトイレを掃除していったはずです。
29日は仕事による徹夜明け朝5時から西荻で掃除をし、昼過ぎに国立に帰りました。夜8時にはN.Y.から日本に遊びに来ていたMeguや鵠沼のSaoやら初対面の方々などが来る予定だったので寝ないと死ぬと思ったのですが、あまりに物が多くて掃除をしていたら夜になってしまいました。30日納期の仕事もあったしもうホントどうなることかと思ったのですが、酒を飲んでしまいam1:00に就寝。翌30日朝10時まで寝ました。その後なんとか仕事を終わらせ夜7時頃西荻へ。
30日の写真はありません。たくさんの人のご助力のお陰で最終日になんとか片づいたのですが、デジカメを持っていくのを忘れたため携帯電話のカメラの汚い映像しか撮れませんでした。日曜日に不動産屋の査定に立ち会うのでその際最後の西荻の写真を撮ってこようと思います。
Special Thanks to
父さん 有村 下崎 文子 靖子 あと航