気違い部落の青春

「きだみのる自選集1」を国立(くにたち)図書館で借りてきて読んでいます。G君に薦められていたもので、 このなかの「マルと弥平」を推されていたのだけれど「気違い部落の青春」という長編がすばらしい。(「マルと弥平」もおもしろいんだけどね)

この題名、このご時世ではさぞ割を食うだろうと思ったが案の定絶版になっている。この本が絶版になった理由は詳しく知らないし、「言葉狩り」についてはここでどうこう言うつもりはないけれど、しかしその内容はあまりに美しく瑞々しい。ラストのあしらいかたについては若干の残念さが残るが、決して絶版にして良い本ではない。著者きだみのるが亡くなったのは1975年。2025年になったら青空文庫に載せるためにタイプしようかしら。

時代は第二次大戦後、場所は東京、南多摩。山の部落に生まれ育った主人公がその少年~青春時代を通じて広い「世界」に触れていく物語だ。「多摩の山々に抱かれた、狭く湿度の高いムラ社会」と「都会と世界の広く風通しの良い乾いた景観」とのあいだで美しい自然描写と少年の成長が描かれる。
僕は西多摩で育ったのに、なんでいままで誰もこれを推薦してくれなかったのだろう?国分寺以西の高校生はPSPとモンハンを売り払ってでも読むべきだ。

閑話休題。どうでもいい話だが、物語のなかごろで登場人物が「アカハタは社会をわかるために読んでおく方が好いと思う」といって新聞赤旗を読むシーンがある。私は高校で出会った同級生のK君を思い出さずにはいられなかった。彼は同じ理由でアカハタではなくゲンダイを読んでいた。高校ではサンデーやマガジン、スピリッツといった漫画雑誌がクラスに2,3冊ずつは購入され学級文庫としてクラス内を回覧されるのだが、それに混じって私たちのクラスでは毎日ホチキスで平綴じされた日刊ゲンダイが回っていたのだ。K君は政治家志望であったと思うので、きっといつか政界に新風を吹き荒らしてくれると期待している。おそらく彼の政党はあらゆる権威を否定しながら風俗嬢を優遇するだろう。

さて作品に戻ろう。このあとは、読む予定があるなら読後にどうぞ。

前半の印象は「アメリカン・グラフィティ多摩版」。次に、高野文子「黄色い本」を思い出した。どちらも大好きな作品だが、「アメリカン・グラフィティ」に較べ「黄色い本」が(黄色い本の存在ゆえに)飛距離を伸ばしていたのとちょうど同じように、「気違い部落の青春」は「黄色い本」よりさらに遠くへ着地しようとする。この違いは主人公が前者にはない機会(なんと捕鯨船に乗る)を得るという展開によるものだが、この作品が郷愁で書かれたものではないという点もあるのだろう。ドキュメンタリーでもあるが、作者が見た里の未来を描く作品でもあったのだと思う。

著者きだみのるは奄美大島出身だが、パリ留学後の疎開で南多摩に来て住み着いてしまったらしい。ファーブル昆虫記の共訳者としても有名(山田吉彦の本名)。作中の「気違い部落」はまさに彼が暮らした東京都恩方村であり、作中にも似た人物――というか著者そのものであり作品の道しるべとなる人物――が登場している。恩方村というのは現在の八王子市の恩方町あたりで、高尾のすこし北にあたる。主人公の親友は国立に住んでいて、国立は作中では「都会」として機能している。主人公達の高校ははっきりとは出てこないが「国立より下り電車で一駅で基地がある」ということから立川にあるらしい。H高校という名前だがおそらく名称は適当。このあたりで当時あった進学校と言えば立川高校しかないだろう。

こんな地名を聞いて頭の中に地図が出てこない人にはピンと来ないかも知れないが、この距離感覚はこの作品を理解する上では一助となると思う。八王子から立川まで電車で20分。この時代、山村と都会はまだこれだけ離れていたのだ。

国立は都会のひとつの姿として出てくるが、これは新宿や銀座、丸の内ではない。今でもそうだが、これは都会に付随するベッドタウンの姿だ。国立に住む家族は大学教授の一家で、土地との結びつきはない。都会では鳥を猟銃で撃ったり畑の畝を起こしたり薪を割ったりはしないし、作中では四季すら描かれることが少ない。部落の自然が美しく精緻に描かれるのとはまさに対照的だ。近隣との接触も淡泊で、対してムラではうんざりするほどの人付き合いの連続だ。部落のお祭りから青年団、他部落との抗争、村八分・・・読者は主人公と同じようにうんざりしながらも、その特異さおもしろさに心奪われる。

著者がムラの暮らしを「気違い部落」などと呼びながらも心底愛し慈しんでいたのは間違いのないところで、都会の暮らしにそれを求めるべくもないことは当時から自明のことであったように見うけられる。山村の暮らしを愛しながら山村の住人の頑なさ保守性にうんざりし、そして同時にそれを愛しもし、またそのように変わらない山村の未来を案じるのが著者のスタンスだ。

私がこの作品に惹かれるのは作中の 気違い部落-住宅地 のコントラストを 川沿いの集落-新興住宅地 という構図で少年時代に体感していたことにもよるだろう。八王子と同じくらい立川から離れている羽村町(小学生当時はまだ町だった)の川沿いには古く大きな農家が残り、田畑があり、牛もいれば豚もいた。私が住んでいたのは新興住宅地と古い地域のちょうど間くらいだったので、土地のお祭りがあれば参加はするが、所詮はよそからやってきた「坂の上の子たち」ということでほんとうの「土地のもん」とは区別され、御神楽や御輿には呼ばれないという完全には溶け込めない空気…というか実情があった。それでも子供達が仲良くできるようにと父を含めた地域の大人たちは腐心してくれていたようだが、小学校の学区が違うことも手伝い私たちは「外様」として扱われることが多かったように思う。神社の氏子や寺の檀家といったつながりも、土地と結びつかない新しい住人には及ばず、その溝はどんどんと深くなりながらも両者は物理的に接近していき、やがては分譲住宅に移り住んだ移住者が隣の牛舎に「臭い、うるさい」と文句を言って廃業させてしまうなどの摩擦も生んだ。物語はおそらく1960年代後半。前述のように当時は八王子-国立の距離にあったコントラストが、1980年代にはすでにひとつの町の中にまで迫っていたのだ。

作中で示唆されているように、山村と都市では生活者の社会との関わり方が違う。ムラ=部落・集落と何が違うかといえば構成人員の土地・社会との関わり方であり、単純に言えば「農耕狩猟民かどうか」という点に尽きる。狩猟民といっても遊牧民ではないので自分たちの裏山で狩猟をする。四季の移ろいに従って生活をし、年間行事が決まる。これは私たちが「坂の上の子」として区別されたこととも無関係ではないだろう。富士山の火山灰が積もる関東ローム層の上にあり、河岸段丘で川からいっきにせりあがる羽村の土地では、「坂の上」では水がないので稲作ができないのだ。しぜん、都市に仕事を持っている人間でなくては生活が出来ない。もちろん80年代には上下水道があり坂の下に都市労働者がいなかったというわけでは全くないが、その逆はまず無かったと言える。これは、ムラがムラであるのは生活が土地自然と結びついているからであって、土地と生活が結びつかない人間は田舎に居住してもムラ社会を作れない、ということなのかもしれない。

この作品は主人公の成長を追いながらも、きだみのる=作中の牧徹(どちらも「気違い部落」の廃寺に居住)の視点からムラを眺めるものであるので、私の置かれていた位置に非常に近い。「土地のもん」になりきれなかった私には、作中で語られるムラの生活ひとつひとつが外様として扱われた記憶の補完をしてくれるのだ。いまもう一度少年時代の羽村を訪れているようで、気違い部落はよその土地とは思えない。

この作品に限らず、少年が青年となるときには決断を伴う。土地に残るか、都会へ出ていくかの二択だ。そこには「ムラを都会化する」という選択肢はあまり浮かび上がってこない。この作品でもムラの人々は主人公たちが勉学に励むのを歓迎し親たちも影ながら応援するのだが、それは決してムラを都会化したいという願望のもとに行われるのではない。せいぜい部落から名士を出したいというような程度で、ムラの生活を変えるような活躍を期待しているわけではないのだ。作中の牧徹(きだみのるの代弁者)も「外を見ろ、外へ出ていけ」と少年たちを促し理想的な教師先達として機能するが、「帰ってきてムラをよくしろ」とは言わない。レヴィ=ストロースが左翼活動に与しなかったという話は有名だが、ソルボンヌ大学まで行きマルセル・モースに人類学社会学を学んだ著者には、当時の左翼活動家が声高に叫んだ革命などといったものがどういったものかがよく見えていたのだろう。革命マルクス的左翼思想が農村の暮らしむきを良くすることはない。一方で為政者がそれを解決する希望も存在しなかった。きだが憂慮したのは未来ある若者が消えゆく運命にあるムラの中にしばられることで、現状理解と個人レベルでの危険の回避という姿勢はあったが、ムラの将来に干渉するようなビジョンは描いていない。社会人類学者らしいと言ってしまうのはいくぶん横暴だろうが、興味深い事実だと思う。

我々が今見るように現在の八王子は異常とも言える都会化を果たしており、山の暮らしは失われてしまっただろう。しかしムラの文化は都会化されたのではなく、新興勢力である都市労働者に駆逐されたのだ。社会として見れば彼ら農民は我々都市労働者にとっての先住民であるという事実を忘れてはいけない。

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“気違い部落の青春” への6件の返信

  1. ダニシェフさんが、それほどに推すなら、今度読ませてもらいましょう。一小説とはいえその文化遺産を、後世に広めておきたいという善意がありがたいと思います。

  2. うん知ってる
    僕らの小学校時代の同級生の妹さんだよ

    誰から聞いたかは忘れた

    ところできだみのるは「気違い部落周遊紀」という本が代表作なのだそうです。いま両方ともamazonでオーダー中なのでそのうち届くと思う

  3. 今までからも、odnさんとを始め、田舎の無い人と話すと
    話題の端々で、歴然とした違いを感じておどろきます。

    その違いについて、
    田舎サイドからまとめてみたものを、しんどくならない程度に笑
    書き溜めているところです。

    私は今、日本海側の豪雪地帯の実家に今帰省しています。
    ここにも、「川向こうの都会の人の集落」があります。
    小さい頃、祖母が
    『あそこのもんらーは新しい部落だでーな(自分たちと)仲良ぅしてゃーだろうけーど』と
    冷たく言い放ったのを思い出します。

    「あちら」の家は、屋根から雪が解けたり落ちたりする、スイス式などのモダンな設計。
    「こちら」は、新築でも、昔と隣と変わらない設計。

    「こちら」が弱みを見せるまで、「あちら」と交わることは無いような気がします。

  4. そうなんだよね、田舎がないというのは、あるいは地方出身者でないということは、理解にほどとおいものがある、と感じます。
    だからモースの教えに沿って、きだみのるは農村の中へ入っていったのだろう。

    田舎サイドの知見を楽しみにしています。