53年の歴史を閉じた国立邪宗門 最後の日

国立邪宗門;最後の日マスター名和さんの訃報に触れて以来お店がどうなるのか気になっていたのですが、各地の邪宗門一門の店主さんたちもいるのでなんとかなるのではないかと楽観的に考えていました。しかし今日常連さんやお店の人にお話を聞いてみると22日の午前0時を以てお店は閉店となり、建物は取り壊しとなるようです。引っ越しのために街の下見をしていたときに「これがあの邪宗門か」と戸を開いてから4年間、何度となく足を運びましたが、まさかこの店が無くなるとは夢にも思っていませんでした。それくらいこの街に根付き自然にそこにあった店だったのだと思います。

国立邪宗門;マスター似の人形店に着いたのは夕方18:15くらいで、閉店の噂を聞きつけた人たちで行列ができていました。今日は12月とも思えない南風が強くふき、一時間強ほどの行列も、秋口のような心地よい暖かさに包まれていました。普段であれば一時間も並んで喫茶店に入るなんておかしなことですが、今日そこにいた人たちはみな当然のように戸外に列を作っていたのが印象的です。店に入ることが目的というよりも、この店の残り僅かとなった時間に立ち会いたいという気持ちが強く、マスター名和さんの存在も大きいのですが、店そのものに対する愛着や惜別の情も感じられました。

国立邪宗門;コーヒーの味も完成されていたこの店は荻窪や聖蹟桜ヶ丘をはじめ各地にある喫茶店邪宗門の源流ですが、各々の店はチェーンではなく、暖簾分けとも違い、喫茶店・マジシャン仲間であったと言います。邪宗門マスター名和さんと邪宗門の生い立ち、そして国立の成り立ちについては朝日新聞社の多摩版に連載されていた中央線の詩〈上〉に詳しいですが(ちなみにこの本は中央線沿線散策者には必読書です)、戦後まもなく吉祥寺に店を開いたマスターが国立に移ったのが昭和30年(1955)とのことですから、この店にはまるまる53年の歴史があります。10日の訃報から閉店までたった12日です。それも大きく報じられたわけではありません。もしマスターの逝去と閉店を知ったならば、最後に一度ここのコーヒーを飲みたいという人が何人いるのか…1000や2000という人数ではきかないでしょう。

国立邪宗門;密度と深度この店の店内の様子は「気合いの入った内装」などと言っては失礼にあたるくらいのもので(僕は初めて入ったときのエントリーにそう書いてますが…)、マスターの蒐集癖が店の長い歴史に多重露光したような、決して一層ではない多層の「店の肌」を持っていました。火縄銃、ランプ、人形、踏み絵、十字架、時計、ミル、写真、絵、スフィア、カメラ、等々…いわばこれはマスターの趣味を重力として地層のように積み重なった結果「なるべくしてなった」姿;名和ミームの表現形であって、計画やデザインでひとときに作ったものとは違うのは当たり前の話ですね。

店内は相席でした。近くの席になった方達と、マスターの写真アルバムを見たり店内の写真を撮ったりしながら、邪宗門のこと、マスターのこと、国立のことなどを徒然と話しました。駅も変わり、店も人も変わっていきます。
この店は50年間ここに在りました。もう明日からは無くなります。きっと数ヶ月後には新しいビルが建っているのでしょう。せめて思い出のよすがにと写真を撮っては来ましたが…大変寂しい。僕のこの町での暮らしも、そろそろ終わりが近づいてきているのを感じます。

“53年の歴史を閉じた国立邪宗門 最後の日” への8件の返信

  1. 12日のブログを読んでビックリというかショックだった。。
    国立に住んでいた5年以上も前に色んな気持ちでそこで珈琲を飲んだこと
    紀ノ国屋で曲がった腰でもカッコイイ名和さんがお買い物してる姿
    もう忘れかけてた初めて扉を開いた14年前の事が
    邪宗門のあったかな電球色に包まれて浮かんできたよ。
    だいじな訃報が知れてよかった、ありがとう。 
     
    赤塚不二夫さんといい、今年は想い入れのある方が亡くなっていく年だったな。。。
    でも、自分には子供が生まれた。回っているんだね。

  2. マスターのアルバムから、
    お若いときのマスターと
    最近のマスターと、を写した写真を
    こっそり撮ってきてあります。
    gmailのほうに送っておくね。