彼女の家で誕生日を祝っていただき、高級牛肉のしゃぶしゃぶをいただいてきた。おいしかった。この肉をまた糧として、明日からもプールに浮かぶぞ。
ところで私は長らく地方公務員の家の長男として慎ましい食生活を送って参りましたが、ここ数年とみに食の神様にお恵みをかけていただき、おいしい食物をさまざまいただいております。おかげさまでお腹の肉も発達し、いまや後戻りできない状態にまで至っておりますが、「出された皿は全て平らげる」という初心忘ルル不如ラズで今後もしっかり食べていきたいと思います。
あと今日は丹沢水系ではないモルツビールを初めて飲みました。
水で味に差が出るのはおもしろいけど、麦やホップ、製法ほどの差はないなと思った。
おいしいものをたあんとごちそうさんになってよかったなあ。よそ様で優しくしてもらって、ありがたいことや。世の中のありがたさをかみしめなあきまへんで。なんかひもじい思いをしているときは、よけいそういうおいしいものがありがたいもんでな。よかったなあ。でもちっとばかし、そういうことをインターネットちゅうもんでお空にとばすとな。あんたはんをあんなにかわいがってくれて、機会のあるごとに心を尽くして、いっつもごちそうをしてくれていた、あのお☆さまになったおじいちゃんが、そんならしゃぶしゃぶをぎょうさん、いやというほど、死ぬほどに、もっとごちそうしてやるんだったと、残念がるかもしれませんで。お線香上げときや。
もちろん、青梅や目白へ行ったときはいいものを食べさせていただいておりました。忘れてはおりません。今もそうなんですけど、それも含めて「最近いいもの食べてるなあ」と思うわけです。これは決していいことだけではないと思うんですけどね。
また、だからといって実家で食べていたものがまずかったかというとそうではないです。高いもの=おいしい、というわけではありませんし、家庭の味というものは、やはり他のものでは代えがたいものがあります。
そういうこともあって、昔食べた味のお雑煮を自分で作れるようにと先月何度かやってみたんですが(今年羽村で食べたのはおいしくはあったけどちょっと違った)、近いところまではいくのだけれど、やっぱりあと一歩足りない感じがする。水が違うのかなあ・・・
カレーはもう、母の味は再現できそうもありません。ルーがずいぶん様変わりしていて、どう作ってもおいしくできるようになった反面、かつてのルーの味はほとんど絶滅してしまったようなものです。もう、あまり覚えてないし・・・