京都旅行二日目

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この日は自転車デーの予定。昨日新幹線で米原あたりを通過しているとかなり雪が積もっていたのでかなり不安に思っていたのだが杞憂に終わり、朝から曇りがちではあれ無風で、寒ささえ除けば自転車日和と言って良い気候でした。
昨晩飲み過ぎたきらいもあり、スタートは遅め。平安神宮近辺でドル→円の両替をしてくれるところを探したのですが、なんだかんだであまりありません。
東山丸太町の三菱東京UFJ銀行聖護院支店でやってくれるかと思ったら、ドルから円はやってないとのこと。郵便局もダメで、結局宿のすぐ隣にあった京都ハンディクラフトセンターで両替。ここは外国人向けの京都の工芸品を紹介販売する建物なんですが、わりとセンスの良いセレクトがされていて、日本人が見ても十分楽しめる。駅や観光地での土産物が嫌で、それでいてある程度まとまった土産物が見たいなら、穴場。ただ「ハンディクラフトセンター」ですから、食料品には弱いかと思います。あまり見る時間は無かったんですが、漫画その他の日本のカルチャーも紹介している模様。
さて、両替商を探したりしていた関係で、この日は10時からモーニングをやっているカフェ「喫茶六花」で朝ごはんの予定でしたが、「京の楽チャリ」というモーターアシスト自転車専門のレンタサイクルを借りた頃には11時になっていました。11時以降なら六花じゃなくてもよかったのですが、ぜひ行きたい店でしたしレンタサイクル店からも近かったので、予定通りに。
アメリカは道交法が緩いイメージがあったんですが、二人によるとNYは電動アシスト自転車はイリーガルなんだそうです。ケリーも茂も楽しんでくれたようでなにより。特に茂はそうとう気に入ったようす。

喫茶六花
喫茶六花六花は母娘で営まれている小さなカフェですが、内外装が気鋭の建築事務所の手になる人気店です。ソファと同じベロアのクッションが壁にも張られていて、つい長居してしまいそうな喫茶店でした。(「長居してしまいそうな喫茶店」というのは、「長居できる喫茶店」とは微妙に違います。)
ここは最近リニューアル移転したそうで、新店舗の内外装はかもがわカフェと同じ一級建築士事務所expo。この事務所の仕事はいいねえ。
喫茶六花 スープセット にんじんのポタージュコーヒー焙煎はオオヤコーヒ、それも美味しく淹れられていましたが、ランチプレートがおいしかった!僕はにんじんのポタージュのスープセット。里芋と柚子胡椒の付け合わせも良かった。現代の京都らしい喫茶店でした。

知恩院三門
知恩院 三門(国宝)腹ごしらえを済ませ、我々はさっそく観光へ。電動チャリはぐいぐい進みます。
ものの数分で知恩院三門(国宝)。はい、でっかいですね。ここは巨大な門だけを見に行きました。知恩院七不思議(忘れ傘とか)が有名ですね。一度一通り見ましたが、心動かされるものではありませんでした。

琵琶湖疎水記念館
次は南禅寺!なんですが、道すがらに琵琶湖疎水記念館というのがあったので、そこに寄りました。なぜかというと、ケリーが水道技師だからです。南禅寺の水路閣をいきなり見るよりは、疎水の基礎を知っておいたほうがよかろうということで記念館に寄ることにしました。こじんまりとしていますが、寄った価値はありました。
実は僕も今回まで全く興味が無かったので調べたことがなかったのですが、琵琶湖疎水は明治期に琵琶湖から京都市内に引かれた水路で、水運・飲用水・灌漑用水・水の動力利用などを目的に(ついでに後から水力発電にも利用される)構築されたものです。鴨川があるのになんでわざわざ琵琶湖から?と思ったのですが、よく考えてみると鴨川はかなり低地を流れており、強力なポンプの無かった時代に京都中をひきまわす水路に水を通すのは難しかったであろうこと、また水量も一級河川とは言え渇水時には非常に少なくなる点などから、疎水の規模の供給源にはならなかったのでしょう。
説明のほとんどが日本語で、僕には通訳が難しかったので解説は簡単に済ませてしまいましたが、茂ががんばっていたので多分理解されたでしょう。京都中を巡っている水路がなんなのか、僕も名前こそ知っていたもののよく分かっていなかったということが分かり、満足でした。

南禅寺
View from Nanzen-ji Temple本日の自転車による京都巡りのハイライトと言ってもよい場所、南禅寺です。禅寺 of all 禅寺s in Japan ということで、京都五山、鎌倉五山の上に君臨する全禅寺中の禅寺で、前回は全然寄ろうと思わなかったのですが、外国人を案内するならここを外すことはできません。パノラマ写真では知恩院のある山に阻まれて京都タワーは見えませんが、右手奥に黒谷(金戒光明寺)が見えます。
南禅寺 水路閣僕も初訪問です。禅寺の神髄を見せてくれるであろう国宝の方丈と、石川五右衛門(Shig が絶対ルパン三世経由で反応すると思った)が「絶景哉」と言ったと伝えられている三門(重文)、そしてケリーには a part of 琵琶湖疎水の水路閣、という隙のない構成。

つづく。

雲海の向こうに広がる大パノラマ;高峰温泉に行ってきたよ。その5

前回までのあらすじ;当初は危ぶまれた天気も好転し、日没の露天風呂、星空鑑賞会、夜間の星空撮影、朝方の雲海と、ここまで存分に高地の温泉宿を楽しんできた我々だが、さらに欲張って朝食後の2時間トレッキングにでかけることにした。しかし周りを見回しても湿地と言えるような平地は見あたらない。そして脚に爆弾を抱えたキムチはどうなってしまうのか?

目的地は、「池の平湿原」。ガイドをしてくれるスタッフさんの運転するバンに乗せてもらい、高峰温泉まで通ってきたダートをさらに奥に進む。結構なオフロードだが、夏場は鳩バスなどの大型バスも通るというから驚きだ。
…って、ちょっと!大揺れに揺れるバンの中から窓の外を見ると、なんだか凄いものが見えたような気がするぞ!

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ついに雲海に出会う;高峰温泉に行ってきたよ。その4

前回までのあらすじ;ついに雲上の露天風呂に入ることができたodn軍団。真夜中の星空も堪能し興奮さめやらぬ中、空が白み始めた。旅行先では早起きの僕は明け方に撮影散歩をすることが多い。これとかこれとかこれとか。明け方ハンターの血が騒ぐぜ!ということで、いそいそと着替えてもう一度外に出たのだった。

日の出の方角には山があるので、太陽は見えないが空はけっこう明るい。

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夕陽を浴びる露天風呂;高峰温泉に行ってきたよ。その3

前回までのあらすじ;キムチと僕は無事標高2000mの温泉宿高峰温泉に着いたものの、天候不順で露天風呂には入れなかった。しかし内湯で楽しんでいると天気はすぐに回復し、念願の露天風呂に入れることになった!ラッキー!露天風呂は宿から50mほど山道を歩いたところにあるという。果たして我々を待っていた驚愕の真実とは!

露天風呂と書いてきたが、よく見ると宿の看板には野天風呂って書いてあるな…違いがよくわからないや。

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標高2000mにある露天風呂とスーパー山小屋ホテル;高峰温泉に行ってきたよ。その2

前回までのあらすじ;キムチに誘われて温泉旅行に行くことになった僕。行き先の高峰温泉は標高2000m、冬季は道路が閉鎖されるため雪上車による送迎があるのだという。予約日は道路閉鎖の五日前。足はノーマルタイヤのFFコンパクトカー、タイヤチェーンは持っていない。天気予報は雪。いったいどうなってしまうのか!

懐古園の入り口近くにある草笛という蕎麦屋を出た我々は、いよいよ高峰温泉への道を登ることにした。空からはちらほらと細かい雪のようなものが舞ってきている。完全に曇りだが、天気予報では夕方から雨か雪ということなので、一気に登ってしまうことにした。

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標高2000mにある露天風呂とスーパー山小屋ホテル;高峰温泉に行ってきたよ。その1

11月15日から一泊で、父(以下キムチ)に高峰温泉への温泉旅行に誘われた。
キムチは旅チャンネルで見て行きたくなったらしいのだが、高峰温泉と言われても全く聞いたことがない。ネットで見てみると、長野県と群馬県の県境に位置し浅間山にほど近く、雲海の上にある標高2000mの露天風呂が売りだという。日本秘湯を守る会の会員宿。

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台湾の写真

2ヶ月遅れの写真up

台湾は雨が多い上海は東京より暖かいと聞いていたのに、気温は寒いししかも空気が悪かった。排気ガスと埃と工事の粉塵でやられ、どうやら僕はずいぶん疲れていたのだろう。ほんの三時間ほどのフライトでTPE:台湾桃園国際機場に着くと、雨と温暖な気候に緊張がするするとほどけていくのが分かった。気温は摂氏19℃。台北駅に着く頃には台湾のどこか日本的な町並みと沖縄的な風土、そして何より町中に溢れる日本語にすっかり安心していたのだった。

九份…昔の炭坑街が観光地になっている二日目に行った九份(ジュウフン)も雨。ここは昔金が採れた炭坑街を観光地化したところで、バスやタクシーで山の上まで登ると狭い道沿いに観光客向けの土産物店が立ち並ぶ。日本だと神奈川の大山の参道が似たような感じ。写真の場所は赤い提灯が階段に沿って並んでいて、九份の名所なんだそうだ。

九份茶房でお茶九份で入った九份茶房という店。日本人が好きそうな内装とポットサービス(っていうのか?急須と茶葉を出してくれる)で延々飲み続けられる中国茶。僕らはここに2時間居座ってしまった。最近気づいたけどうちの家系はおしゃべりだよね。明らかに、大磯の祖母の血。

九份茶房:店内オーナーが陶芸家だとかで、オーナー作の陶器が売られている。インテリアとしては大変よく機能しているが、作品の質はいまいち。ただこの店の良さは陶芸ではない。日本語に堪能で人の好い親切なスタッフがおいしいお茶とお菓子を振る舞ってくれて、そして適度にほっといてくれる。これこそ喫茶店に求められるエッセンスではなかろうか。

九份茶房:店内2僕らの席は昔の寝台を改造した火鉢つきの席。仲の良い友達と行くなら、この店とマッサージだけを目的に台北に行っても飛行機代に見合う。そして僕らは結構仲が良いのだった。

九份の路地夜になるにつれて雨足は強くなった。土産物店街から少し目を逸らすと閉鎖された炭坑街の寂しさがうっすらと滲む。台湾には全体的にどことなくここと似たような空気が漂う。中華民国という民主主義国にとって中華人民共和国の脅威は増すばかりだろうが、大陸の経済的発展に対してもどことなく他人事のような空気感が感じられてならない。諦観ともまた違う余裕と落ち着きがあって好感が持てる一方で「乗り切れない」やるせなさのようなものもあった。しかし台湾の人は基本的に前向きで明るい。沖縄のメンタリティと世界に通用するテクノロジーという一見相反する武器を手に。

三日目は晴れた三日目は快晴。気温も高くなり、アウターを脱いで台北市内をうろつく。

世界最大の自転車コングロマリット、GIANT台湾はサイクルロードレースを支える世界の工場として名高い。最近サボってるけど自転車好きとしては視察せねばなるまいということで店が多そうな地域にやってきた。台北市の西側を流れる川のあたりに自転車店が軒を連ねていた。このあたり。GIANTはできたばかりらしい。

自転車店が軒を連ねるすこし歩いただけでもGIANT、Bianchi、ルイガノ、GIOS、MERIDA、FUJIあたりの看板が目につく。すべてが直営路面店というわけではなさそうだが、それにしても日本ではこんな場所はない。チャリンカーにはたまらない国だ。とはいえ、値段は日本とさほど変わらなかったし、Y’s Roadみたいな巨大店も見つからなかった。

川沿いの散策道はサイクリングロードになっているこの日は日曜で久々の晴れだったので、川沿いを走るサイクリストが多かった。道路事情も含めてそれほど自転車に良い環境ということでもなさそうなのだが、ママチャリからロードレーサーまでいろんな年齢層があらゆる自転車に乗ってサイクリングを楽しんでいる。ただ、休日の多摩サイほど混んではいない。

上海, under-construction

1001_shanghai01上海。
この旅行をねじ込むために元日まで仕事をしていましたが、なんとか日本脱出に成功しました。同行者は3人。茂、文子、そして茂がつい最近NYで知り合ったMさん(日本人)。
Mさんの弟さんのKさんが上海で会社をやっていたところに我々の旅行がちょうど転がっていたため、上海のみ一緒に行動することになりました。たいへん気さくな女性で初日から仲良くなっています。茂がN.Y.-Tokyo-ShanghaiとMさんと遊び続けているのもなるほどなと分かります。

Pu-dong国際空港からリニアで7分、地下鉄で6~7駅ほど来た人民広場近辺の長期滞在者向けのホテルにいます。部屋は 2-bedroom, living, kitchen でとても広い。日本ならジュニアスイートで普通に通る豪華さで、二泊で3人で3万円くらい。

上海の印象は「どこもかしこも工事中」。香港よりは殺風景で汚いしホームレスも多いですが、香港の半ば老練な活気とは違う、上を狙う若い野心とパワーに満ちています。そう遠くない過去に銀座ではなく新宿が持っていた活気は近かったのではないでしょうか。五月に万博を控え外灘(昔の上海租界:通称バンド)を始め街のあらゆる場所が工事中で観光にはあまりよくない時期みたいですが、視察にはもってこいでした。

僕と茂は仕事が忙しく旅行の中身を一切詰めずにやってきたため、初日はKさんとその彼女の安々さん(日本語勉強中。かわいい)に完全に頼り切ることになってしまいました。新天地(日本で言う恵比寿GPのようなオシャレスポット)で軽くショッピングとお茶をしたあと、上海阿叔(Shang-hai Uncle Restaurant)という豪華な店で個室フルコース。フカヒレでほっぺたがテカテカになりました。

その後とっぷりと暗くなった街を散策(半分迷いながら)してホテルに戻り、茂と僕は少し仕事を片づけた後、金茂大厦88層観光庁(GRAND HYATT SHANGHAI)という高層ビルの87階に位置する cloud 9 というバーへ。森ビルが建てた上海環球金融中心の隣に建つ超高層ビルのほぼ最上階に位置するお約束の高級バーです。昼ご飯が排骨麺一杯4~7元(1円14元なので60円~100円くらい)というところをテーブルチャージで1000円、カクテル1000円くらい普通に取るのですから、無茶な話です。このことからも分かるとおり、中国の実情は最早我々が想像している共産主義の姿とは明らかに違います。(日本共産党が資金面の問題で党大会に中国共産党のお偉いさんを呼ぶのをやめたという話がありましたが、果たして資金の問題だけであったのかどうか。この状況を筋金入りのコミュニストが見たら複雑な心境になることは否めないでしょう)
単身滞在して工場を経営して4年になるというKさんからたっぷり上海の話を聞き、中国の「今」と「これから」を見るというこの旅の目的はほぼ達成されてしまいました。

初日を一言で言うならば「満喫」。仮に今日日本に帰ってもそれだけの価値はありました。「柔軟な共産主義」という強さ。中国は内患を抱えているしそれは間違いのないところですが、大戦後50年低迷した「眠れる巨龍」は決してただ寝ていただけではなく、ソ連崩壊から多くを学んでいるということ、そして今時流を得、さらに金という説得力を得て巨大な潮流になっているということを感じざるを得ませんでした。

二日目はメンバーのほとんどが睡眠不足で上海入りしているので、少しゆっくりしながら午後からYu-Yuan(豫園)という観光客向けの保全地区へ行って来ます。日光江戸村みたいなもんですかね。