紅組公演「ふたりの女」「姉とおとうと」

父キムチ(HN)と観る唐十郎も三年目。
井の頭恩賜公園のジブリ美術館の奥にある原っぱに紅テントが建ちます。

今年は二本立ての日があったのでわざわざその日を選んだのですが、キムチがチケットの買い方を間違えたらしく後半入れ替え時に二本目のチケットがないことが発覚。その場で当日券を買って事なきを得ました。

うちからは車で1時間半くらいかかるのですが、新奥多摩と甲州街道が混み、20分マージンを取っても予定5分後に着きました。
一時間くらい余裕を見ないとだめなのか。

今年は二本立てができるだけあり、一本一本は短め。その分簡潔でわかりやすいお話になっていました。
さすがに三年目ともなると冗長な長口舌の聞きかたも慣れてきて、役者が「AのBのCのDのE」と言ったときはA~Dの修飾子のうち一つを覚えておけば良いというのが身に付きました。厳密に言えば正確でない修飾がかかることもあるので、そのあたりは取捨選択しないと意味が取れなくなるけれど。

内容メモ;
ふたりの女
精神科医の主人公光一、その身重の妻・葵と、妻によく似た女・六条。精神病を患い、半ば装い、病院で光一に再会する六条、それに嫉妬し気を狂わせる妻、ふたりの女が主人公を中心に交錯し、妻の自殺を経て主人公も気を狂わせていく。気狂いと正常の立場を順に巡らせながら。冒頭の蟻の伏線と絡めたラストの展開は観客ともども狂気と正常の境を解体し、なかなか見事!ここ三年で一番よかった。三角関係こそ光源氏ネタだが、ほぼ関係ない。79年の作品。

姉とおとうと
姉が酔いつぶれている路地の入り口に、毎日姉を迎えに来る弟。ふたりは南国・知覧の出身。姉はクラブでホステスとして働いているが、やめてやると言う。それに追いすがるクラブ店主と上客。どういうわけかタライを持って現れるクラブの主任給仕。タライは甘味処のおばあさんの持ち物だという。甘味処にタライを持ってきた姉弟は天草とりのおばあさんに歓待され、姉弟はいわくつきの押入の扉を開け中に入る。出てきた姉弟のあとから様々な人々が現れ、壇上は混沌とする。姉弟は血縁でないことが暴露され、弟は路地の向こうへ消えていく。路地の奥は姉が常々追いかけたいと言っていたため、ふたりの気持ちがそこに重なるのか?展開はシンプルで軽妙なノリは楽しく観られるのだが、何を表現した舞台なのかはいまいち釈然としない。新作。

唐組2009年公演「盲導犬」

0910_karagumi01父a.k.a.キムチと唐組の舞台に行ってきた。井の頭公園はジブリ美術館横に張られた紅テント。去年と変わらぬたたずまい。
僕は演劇鑑賞の経験が少ないので、観劇の最初にある種のチューニングが必要だ。初めて見る劇団の場合とくに、舞台のコードとリズムを把握する(のに努める)時間が要る。もしこのチューニングを怠ったり失敗したりすると、公演中おいてけぼりを食ったままになってしまう。同じ劇団で二度目ともなるとその儀式があってもごく短くて済むので、今回はスムーズに入ることができた。 “唐組2009年公演「盲導犬」” の続きを読む

唐十郎と紅テント

11日土曜日に劇団唐組の『ジャガーの眼』を観てきました。キムチこと父が演劇ファンで、チケットが取れたと誘ってくれたのでした。唐十郎が紅テントを花園神社に建てたのが1967年。41年目の舞台は花園神社ではなく井の頭公園でした。(最近は雑司が谷の鬼子母神と井の頭公園でやっているのだそうです)
18:30開場で2時間くらい。途中2度の休憩がありました。僕は演劇には疎遠なので気の利いた感想はとくにありませんが、観賞後にキムチに聞いた話も含めてなかなか興味深い晩でした。唐十郎や寺山修二が活躍した60~70年代の興奮を感じるというまでには行きませんでしたが、その雰囲気の大まかなアウトラインをつかむことくらいはできたような気がします。
鈴木忠志がいる富山利賀にも行ってみたいですね。

父とも話しましたが唐十郎のような動機を持った才能は、こんにち演劇という表現手段を採ることが稀です。すでにそれは起こってしまったことで、自然な流れなのでどうすることもできません。しかし演劇が持っていたメディアとしての特が自然消滅し忘れられる前に、どこかで掬っておく必要があるでしょう。