上海と90年代の我々

上海には多くの日本人がいるはずだが、意外と出会うことが少ない。ほとんど的士で移動しているというのもあるし、隣の日本語が聞こえるほど静かでもないというだけかもしれない。
豫園(YU YUAN)は日本人だらけだった。ほとんどがツアー客で、ガイドが先導しながらいろいろと説明している。最初はついていって聞いてみようと思ったのだが、たいしたことも言ってないみたいなのでやめた。豫園というのは奇岩や水を縦横に配した庭園を迷路のように組み合わせた施設で、とにかく大きなビルばかりの上海においてこじんまりとしているが、豫園を取り囲むように建つ周辺の土産物店は巨大であった。豫園自体は上海にはほとんどない古い建築を見ることができ、時間の問題で蘇州に行くことができなかった我々はそれなりに楽しんだ。入場料があり、大人一人30元。レートは14円が1元という計算。豫園内においてもしっかり骨董品屋や土産物屋が営業しているのが商魂たくましく、中国を感じる。
豫園の非日常な空間はちょうどつい先月読んでいた諸星大二郎の見鬼シリーズや西遊妖猿伝などを思い出させ、僕はちょっと浮かれていたのだろうか、土産物屋で少しぼったくられてしまった。

豫園に来る前に行った場所を
上海最大のB級グルメストリートとガイドブックにあったので、食べてみようとメトロ2号線の南京西路近くにある呉江路(呉は実際には口に天)へ。昼時だったが平日だからからなのか、やっている店があまり多くない。混雑もしてない。最終的に一番英語が通じそうだった店に入ったのだが、チャーハンのグリーンピースが蛍光緑色をしていて驚愕。担々麺は酸辣麺に近い酸っぱいスープだったがなかなかいけた。辛いからよくわかんなくなってただけだろうか。牡蛎の炭火焼きもそこそこ。これはこれで旅の食事の愉しみではあるが、ショッキンググリーンピースはB級を通り越してC級である。グリーンピース嫌いの子どものように避けてしまった。5~6皿頼んで62元くらい。どうも海鮮物が多い印象があったが、上海で獲れる魚介類なんて食べられたものではなさそうな…。まあ牡蛎食べてもおなか壊さなかったから、短期的には大丈夫なんだろう。

食後ファミリーマートで少し買い物をして、少しおなかが空いていたので小龍包を食べようと地下鉄一駅分を歩き、人民公園近くの佳家湯包という店へ。ガイドブックによれば上海一という人もいるとあるので期待して入ったのだが、果たしてその評判は間違っていなかった。B級グルメなんて無視して最初からこっちにくればよかったと後悔したが、蟹味噌の小龍包は確か29元くらいしたと思うが、スープがたっぷり詰まっていて箸で持つとたぷたぷと水風船のように揺れる。油ものに辟易していた我々はたいへん満足して店を後にした。店構えは多少わかりづらく小さいので地図をよく見て行きすぎないようにしたい。混雑しているので店の中を一軒一軒覗いて行けば分かるはず。店は日本語も英語も通じないが、英語を使うとわかると英語を紙に鉛筆で書いたしわくちゃの対照表を出しておばちゃんが一生懸命オーダーを取ってくれる。外で並んで待っていても対応してくれる望みは薄いので、積極的に中に入って人数を伝えて座れるように頼んだほうがよいみたい。ひとつの籠に12個蒸されて出てくる。持ち帰り客もいるみたいで、相席がたまに発生するほど混んでいたので出てくるのは多少遅い。黒酢で食べるのだが小皿は持ってきてくれてもレンゲをくれることはほとんどない。欲しければ「なんかスプーン的なものをくれ」とジェスチャーで頼むと出してくれた。ほかの中国人客も似たような扱いなので、こういう店なのだろう。とはいえ店は(それなりに)清潔で、なにより味がよい。何店舗か市内にある模様。

ホテルから地下鉄駅までは8号線大世界駅が近かったが、乗り換えが面倒くさいので移動は終始タクシーか徒歩になった。初乗り3kmが12元(168円)。これだけ安ければ乗らない手はないが、交通事情は凄まじい。茂にしてマンハッタン以上と言わせるその実情は、見切り発車ならまだいいが交差点でなければ信号無視も当たり前、歩行者がいれば警笛でどかすのが基本。それでいて事故をまったく見なかったのだが、絶えずこういう環境でもまれているドライバーが危険回避能力を進化させたのだろうか…却って台湾では交通ルールを守っている印象があるのに事故を見た。

豫園を見たあと、昨日見損ねた外灘(バンド)へ。ここは欧州租界の跡地で、おもに銀行が使っていた立派な欧州風の建物を外観はそのままに商業施設に転用している。たいへんオシャレな地域ではあるのだが、やはりここも急ピッチで道路が掘り返され河川敷も工事中で、ライトアップされた建物は楽しめたが本調子ではない。しかも僕らが上海にいた数日は記録的な寒波が到来していて、通常日本より少し暖かいという気温は-1℃~4℃というありさま。控えめに申し上げて糞寒い。川沿いの外灘は厳しいものがあった。マフラーと手袋は必須でしたよ。無かったけど。

外灘の夜景を楽しんだあとはタクシーで上海蟹の店へ。上海蟹は有名だが時期は10月から12月にかけてらしい。時期を外したため一杯380元~というお高いものを食べるのは気が引けたのだが、せっかくなのでということで。店内は日本人だらけで店員も日本語がそこそこできる。蟹は時価で420元。一人一杯蟹を頼むとふつうに一人一万円くらいだが、メニューのほとんどが蟹料理で、丸ごと一杯の蒸し蟹以外はどの料理の値段も日本の銀座アスター以下。安心して蟹は一杯だけ頼み、4人でほかの蟹料理を堪能した。結局のところ出てきた上海蟹も痩せていて、満足できるような味でもなかったので正解。青島ビールをたくさん飲んで、Mさんと我々の音楽の趣味が被るということが判明したところで店外へ。茂がエッグタルトが食べたいと言い出したので(本日二回目)、隣のケーキ店で購入してタクシーでホテルに戻った。

この日は上海最後の夜になるのだがMさんはあと二日いる。我々の部屋にコンビニで買ったビールを持ち込み、何か音楽をかけようと僕がかけたのが「黄昏’95」であったのが火口になり、深夜2時くらいまで90年代の音楽とクラブシーンについて熱い講義を受けた。Mさんは渋谷系ど真ん中世代で、僕らの世代がぎりぎりのところで追いかけていたシーンの波に乗っていたのだった。
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茂にしてみれば二ヶ月に渡って遊びまくった友達で、東京に帰った後はすぐNYに帰らなくてはいけないのであと一年は会えないであろう。全く分からない話題で盛り上がるのは申し訳なかったのだが仕事してたからいいよね。2時に仕事が終わって我々がダウンしたあと、二人でこの2ヶ月の総括をしていた模様。

次の日は朝から台湾へ移動。タクシーで龍陽路駅まで行き、またMaglevに乗って空港へ。
上海から台湾へは国内移動ではあるのでターミナル2なのだが、やはり半分国外扱いでゲートも国内とは別れていたし、出国時に提出する半券も取られた。香港やマカオと同じ扱い。エアチャイナの台湾便は一本だけで、チェックインカウンターはかなり混んでいた。だいたい2時間前に空港に着くようにして正解だったので、国内だから時間がかからないとは思わずに国外退出のときと同じイメージで行った方がいいだろう。台湾側でも中華民国の入境審査があり、時間がかかる。