毎週『バトルスター・ギャラクティカ(以下BSG)』というドラマを見ています。『宇宙空母ギャラクティカ』のリメイクで、スーパードラマTV(旧スーパーチャンネル)での放送になりますが、このドラマの現在(Season2)の主要テーマのひとつは『人と機械のあいだの恋愛は成立するのか?』。
手塚治虫と藤子不二夫を経ている我々にとっては今更問われるまでもない幼稚な命題です。「とっても大好き、ドラえもん」と口にしたことがない日本国民がいるとも思えません。
もっと言えばP・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や、その映画化作品『ブレードランナー』で通ってきた道でもあるのですが、それらを経てもなお、アメリカ人にとっては必ずしも自明の問いではないのでしょうか。
僕の知る限り『BSG』の原作となっている『宇宙空母ギャラクティカ』には敵であるところのロボットとの恋愛はテーマの範疇外であったので、これは新シリーズになって人間そっくりのロボット(敵)を出すにあたって盛り込まれた新要素のようです。
どうも西洋社会というか合衆国では「愛情」がなにか神聖な現象のように信じられている節があり、これはあちらのドラマを見ていてしっくり来ない要素の筆頭です。(これは日本のTVドラマが優れているという意味では決してありません)
現代ハリウッドを語る上で「役になりきり状況に対処すること」を是とするメソッド演技法を避けて通ることはできません。特に今世紀に入ってからはその影響は顕著で、コメディどころかヒーローものですらこの影響下にあります。そのような、リアリズムに立脚したメソッド演技を中核としたドラマツルギーと、博愛を愛として範とする聖書をベースとした世界認識との間には埋めることのできない溝があるのですが、果たしてストーリーメーカーはそれに気づいているのか・・・。気付いているからこそ『BSG』のテーマが表題のようになっているのだと思いたいところですが。
これは古い概念・思想が新しい概念・思想とせめぎあっている最前線なのだと捉えることもできます。そう考えれば未来があるので、少しはマシな気分になれます。「あの」救いがたいとまで言われたハリウッドがここまで来たのです。TVドラマだけでなく映画にもこの影響は浸透し、次世代の思想・意識を形成するでしょう。
もちろん、情勢はまだ拮抗しています。『BSG』においても今後のストーリー展開によっては「やっぱり愛情は人間と非・人間を区別する大事な要素だったんだ!」となることもあり得るため(ないと思いたいですが)、毎回そわそわしながら見ています。
つい数年前、「汝の隣人を愛せよ」と記してある書物に手を置き宣誓した大統領が、八つ当たりで関係の無い国を相手に戦争を始めました。911以降に起こった出来事はどれも痛ましい現実です。それは、とうに克服したと思っていた原始的な迷信が新しい世界を挑発し、いとも簡単に迷信が主導権を取り戻してしまうという悪夢でした。しかし同じ国の次期大統領は、「田舎町の人々は、失業に苦しんだ結果、社会に怒りを持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」と看破しました。彼には新しくリアルな現状認識に基づいた冷静な政策を期待してしまいます。願わくは、空回りしませんように。そろそろ我々は宗教という枷から脱却すべき時期です。