咳をしても一人

自由律俳句で有名な尾崎放哉がその生涯を閉じたのは小豆島で、今年2008年のGWに小豆島を訪れた際、放哉記念館を訪ねたのですが、「咳をしても一人」「いれものがない両手でうける」の句が有名なこと以外、この俳人のことはあまり知りませんでした。少し前に種田山頭火ブームがありましたが、そのときは放哉はさほどフォーカスされていなかったように思います。
記念館は8畳くらいの二間に土間をつないだ小さな民家で、放哉の住んだ庵跡にそれを復元したそうです。放哉に因んだ書簡などが展示されているこじんまりとしたもので、隣の墓参のついでに寄った私はじっくりと見る時間もなかったのですが、放哉の略歴と小豆島に来てからの俳句を印刷したパンフレットをもらいました。略歴そして俳句については記念館のページのプロフィールを読んでいただくのがよいでしょうが、明治18年生、一高・東大卒業後保険会社へとエリートコースを歩むが出世街道から外れ、病を得、酒に溺れ再帰も叶わず放浪の身へ、40歳で小豆島に庵を得、翌年生涯を閉じる という絵に描いたような脱落者ぶりです。しかし彼には俳句があり、最期のときを迎えた小豆島でも俳句を詠みそのこころを後世に遺しました。(興味深いことに、小豆島で子供達に俳句を教えるとき、放哉は自由律や無季俳句ではなく有季定型を教えたそうです)

「咳をしても一人」に見られるような寂寞とした孤独感以外にも、放哉は小豆島の情景をよく詠んでいます。ほとんどは自分の庵から見えるものを詠んだようですが、当時の島のようすを垣間見ることができます。尾崎放哉選句集(青空文庫html版)
やはり無季自由律俳句はリアリズムの描写において強みを発するということが分かります。

先日の通り魔事件の犯人による、携帯掲示板への書き込み

行動の選択をするのはいつも自分だというのを忘れてはいけないと強く思います。誰かに強いられてするものではない。

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