活字とネット

活字文化「危機的状況」=新聞協会がシンポ-東京

日本新聞協会は「新聞をヨム日」の6日、都内でシンポジウム「活字文化があぶない!-メディアの役割と責任」を開催した。登壇者からは、活字文化の重要な担い手としての新聞をめぐる状況について、「危機的」と指摘する声が相次いだ。

 冒頭、北村正任会長は、インターネットや携帯電話の普及で、ゆっくり文章を読み深く考える機会が奪われていると指摘。公正取引委員会が新聞の定価割引禁止を定めた特殊指定の見直しを進めていることを挙げ、「日本の活字文化は極めて危ない状況にある」と問題提起した。

 続いて作家柳田邦男氏が基調講演し、ゲーム漬けの子供の心の未発達などをIT(情報技術)革命の負の側面と説明。「ネット社会では言葉は断片化して深まりがなく、人間の心のひだや生きがいなどを表せない。新聞には、こうした記号化にどうチャレンジするか考えてほしい」と話した。

このシンポジウムは「活字文化が危機的」としているが、記事の端々からは活字そのものよりも「新聞」がもはや半ば崖から飛び降りつつあるくらいの危険な状態にあるという恐怖感が伝わってくる。(「活字」はネット以前にメタファになって久しいしね。)しかしどうもピントがずれているなと感じるのは、読者の活字離れや言葉とのつきあい方を問題としているだけで、そもそも新聞というものの価値が一切無くなっていることに向き合っていない姿勢だ。
だってそうでしょう。最近の新聞勧誘員は「Asahi.com毎日読んでるよ!」とか「読売オンライン愛読してますから!」っていうとさびしそうに帰っていく。ネットで主要なニュースが読めるのに、なぜわざわざゴミになるものを配達してもらわなくてはならないのか。新聞から新を取ったらただの御託が並んでいるに過ぎない。かつて新聞が持っていた一切のメリットが今や全く存在しておらず、残っているのは今までは速報性に抱き合わせで売られていた思想の押し売りのみで、これは読者にとってはデメリットとなるものだ。唯一気になるのは折り込み広告で、それも大型電器店と食品スーパーのものだけでいい。
月3700円も取る商品なのにこの状況はあまりにひどい。
かつて叫ばれた日本人の「活字離れ」は急速に回復していると言ってよいだろう。言うまでもなくこのシンポジウムで苦言が呈されているインターネットと携帯メールのお陰だ。子供達がこれほど文字と親しむなどということはネット以前には考えられもしなかった。もちろん柳田邦夫が言うような弊害はないではないが、しかしコンビニエンスな文字メディアそのものであった新聞ごときにそれが食い止められるはずもないし、「少ない文字数発語数で真意を伝える」という技術を磨いているという面で、これは進化でもあるのだ。