羽村、僕が育った町

羽村、くじら公園のあたりつい懐かしくてmixiの「羽村動物園」のコミュニティに書き込んだら「77年生まれの羽村一中生ですよね?」とバレた。

バレた相手は実は誰だかよくわからないが、なんとなく思い当たる節はある。名前まで教えてもらったのだけど思い出せない・・・。というか、多分名前を知らないのだと思う。「喋ったのは一回だけ」って言ってたしね。それはどっかの飲み会でネタにされるくらいなので別に問題ないんだが、結局なんだかんだでその彼女をマイミク登録することになった。こうなると少し問題が出てくる。彼女のマイミクを通じて中学校時代の「取捨選択できない人間関係」が今の僕のネット(人と人との)に浸食してくるのは好ましくないし、この日記をリンクしていることで情報が一方的に流れるのもよくない。そこから芋蔓式に意図的にあの土地に置いてきた人間関係が再度繋がってしまったりするとさらに嫌なので、mixiとここを分離することにした。

本来mixiを「好きな友達(マイミク)や好きなもの(コミュニティ)を並べて悦に入る陳列棚」だと考えていただけに、今回の出来事はわりと僕にとっては重いものだった。

だったら本名を出さなければいいという話なんだけど、そこはソーシャルネットワークという仕組みの可能性を信じて残す。

さて、そんないきさつで10年越しで知り合いになった羽村人は、既に四児の母。いかに早婚多産が田舎の常とはいえ、さすがにびっくりだ。で、家庭の事情だとかでこんど旦那さんの実家がある富山に引っ越すのだとか。羽村を離れたくない、という。ほとんど知らない土地へ行くのだし、既に小二の子供がいるとすればさすがに大変だ。

線路沿い、家への道。ここは昔一面の菜の花畑だったあの土地で結婚し、あの土地で子供を産むというのはどんな感じなんだろう。
今思い起こす羽村は、散漫でフォーカスの合っていない空間だ。既に子供の頃のランドマークがあらかた消失しているというのも大きいだろう。希に実家に帰ったときも、果たして広い空の下のこの道が、学校帰りに、犬の散歩に、ヤマギシの卵をもらいに、コトブキヤベーカリーの食パンを買いに、絵の教室に通いに、つきあっていた女の子に会いに、かつての僕が歩いたその道なのかどうか、どうにもはっきりとしない。
過去が曖昧模糊としているわけではなく、現在と過去がリンクしない。畑はどんどん宅地になり、実家もかつての姿をしていない。その道を確かに僕は石ころを蹴りながら祖父に買ってもらった並み以上に丈夫なランドセルを背負って帰ってきたはずなのだが、その頃の面影すらも残っていないほどに区画整理と宅地造成が進んでしまった。
だから僕は羽村を離れるとき、経済的な問題が会社の(それなりの)運転によって解決すると全く躊躇しなかった。過去を思い出させるものはあまり残ってなかったのだ。唯一残していく弟が心配だったのでたまには帰るか、と思ってはいたのだが、西荻に引っ越して二日後には毛布を持って航がやってきて、彼はそのまま僕の部屋に居着いたので、羽村に帰るのは一ヶ月に一度から三ヶ月に一度、半年に一度となっていった。

僕が住んでいた土地は羽村でも区画整理が始まったのが随分遅い地域だ。だから、こんど富山に引っ越すという彼女が住んでいるあたりはおそらくさして変化がないあたりだろう。おそらく彼女は生まれてから今までの全ての記憶を、幼稚園から小中高そして子供を産んで小学校に入れるまでの流れをすべていちど止めて見知らぬ土地における人生を開始することになる。不安がるのも無理はない。
それでも幸いなのは、家族がいるということか。

羽村。空。広い。