田舎に住む自営業者は徹夜仕事明けに打ち上げパーティをする店があるか?

まずは、買い出しやっと仕事が終わりました。時間は朝9時。ここは国立市。さあ、そのまま寝るのもあんまりだし、こういうときに自宅作業者は不便です。
仕事仲間が欲しいと思うのもこんな日。

まずしなくてはいけないことは、買い出しです。
打ち上げなので散財したいところですが紀伊国屋へ行くだけの体力が無かったので、大丸ピーコックへ行ってきました。

さあ、料理です本当は鯛の切り身を狙っていったのだけど、開店すぐだったのでまだ刺身類がありませんでした。仕方がないのであるもので、戻り鰹。
・戻り鰹
・最近見つけたつけ汁のうまいつけ麺
・ベビーリーフ
・新生姜
・ビール(その他の雑酒(2))

眠くてフラフラなところを動き回ってかなり気分は乗って来ましたが、料理は手早くできるものにしました。包丁で新生姜とカツオをこしらえて、お湯で麺をゆでるだけ。

できました!できました。
ベビーリーフの上に鰹をのせ、新生姜を粗くおろして散らし、オリーブオイルと塩・こしょう・レモン汁で整えます。ざっくりカルパッチョ仕立て。最近みつけたお気に入りのワサビもそえて、食べて飲むよ!

tastes goodんーまい
朝日が眩しいね!

上の写真に写っている食卓塩は大島の塩で、かなりおいしい。

こうして田舎に住む自営業者はおなかをいっぱいにして満足して、ぐっすり寝ましたとさ。

チケット買って飛び乗ったらauの電波が届かないところへ行ける

ogasawara_maru.jpg 三枝が小笠原諸島へ旅立つというので、新橋の事務所へ寄るついでに竹芝桟橋まで見送りに行ってきました。元国立在住のはな嬢があちらへ行っているので、ごやっかいになりにいくそうです。

 新橋からゆりかもめに乗って二駅で降りるとそこは海の玄関口。発着エントランスには父島直行便のおがさわら丸に乗車予定の旅客が集まっていて、半分南国ムードです。なんで僕はここから船に乗れないんだろう。この置いてけぼり感は何事だ!

 台風11号が硫黄島あたりにいるらしいですが、父島にははな嬢がいますし特に心配はありません。それより寝不足に徹夜を重ねる自分の体力が心配です。手に力が入りません。

 帰りの電車はぐっすり寝て帰ってきました。

ブルーノート東京

行ってやった。

都会の地理に疎い僕らは地下鉄をわざわざ乗り継いでまちがった駅に降り、青山一丁目から表参道まで歩くハメに陥りながらも、EZ ナビウォークの力を借りてなんとかブルーノート東京へたどり着いた。思えば去年も別方向から迷ったのだった。
ちゃんと地図を確かめてから行けばいいのにね。

ここでブルーノートのシステムについて紹介しておこう。
まず、予約していても整理券の発行を受ける必要がある。予約は氏名と電話番号で行われるシンプルなものだが、その分人件費がかかって管理側はめんどくさいだろう。
当日のタイムテーブルは以下の通り。ちなみにこの日は19:00と21:00からの二回ライブが行われたが、僕らの行ったのは一回目。

15:00 整理券の発行・ミュージックチャージの支払い
17:00 整理番号順に入場開始
 ~  テーブルにて飲食
19:00 ライブスタート
20:30 終演
     食事の料金精算

去年初めて行ったときはこのシステムの本当の恐ろしさを知らず、軽食しか腹に入れずに行ったため、なんやかや大量にオーダーして食事の料金が1万オーバーするという失敗を犯した。そのため今回は事前にラーメンをたらふく入れてから挑んだのだが、やはり2時間という長時間を、オーダーすれば酒や料理が運ばれてくる席でただ座っているというのは相当の苦行である。800円のモルツビールや1400円のイカフリッター等々で、結局2人で5000円くらいは持って行かれた。

このシステムのいいところは「いい席が欲しければ開演二時間前に来て待っていなさい」というもので、ミュージックチャージで既に一人8000円持って行かれているところへこの仕打ちはなかなか堪えるものがある。料理は決してまずいとは言えないが値段に較べたらどうかと思うことは多々ある。山頂値段のようなものだと思うしかない。

少ない体験から構築した攻略法は以下
席は全部で300シートしかない。整理券順に入場後すばやくシートを探して決める必要があるが、中心部のシートはかなり整理券の番号が若くないと座れない。4人テーブルに2人ずつ向かい合った席になるので、どこもかしこも相席だらけといった感じである。
ただ、ホールは非常に小さい。どこに座っても大きなホールとは較べものにならない臨場感なので、近さよりも見やすさを重視して選んだ方がいいように感じる。外縁の喫煙席は最後に人が入る席で、かなりゆったりとしているのでねらい目と思われる。
着席するとまず「こちらアーティストが命名したカクテルになります」と80年代かくやという感じの恐ろしいジャブが飛んでくるのでそれをかわす必要がある。
その後狭い席にでかいメニューを置かれ、オーダーを迫られる。ここで「要りません」とつっぱねて二時間ねばるのは気高い行為ではあるがダレるので、ほとんどの人は飲み物と、500円で大量に出てくるフライドポテトを頼んでいるようだ。今回頼んでみたが、多すぎて飽きた。水を頼むと「エビアンですか?」と訊いてくるので「いえ、水です」とはっきり言っていきたい。

さて、これだけ厳しい場所であるにも関わらず毎年行ってしまうのは、先述のシートの少なさと、ステージとの距離の近さに尽きる。予約さえとれればNHKホールのさとがえるコンサートとは比較にならない近さでライブを味わえる。一番遠い席であってもNHKホールの最前列くらいの距離なのではないかと思うくらいだ。今回は整理券の番号は60番台でけっこう遅かったのだが、運良く前から3番目のテーブルにつくことができた。ステージも一段高くなってるだけなので、ほぼ目線。僕が座った席からステージまで3mくらいだろうか。

実際のステージは今まで何度か見た中でベストだったかもしれない。中でもドラムのクリフ・アーモンドが際だっており、ドラムの正面の席だったのでかなりやられた。これまでは丸々としたアンソニーに見とれることが多かったんだけど、うーん、すげーね。
ステージの詳細はmixiであやが紹介しているので割愛。

フジロックではくるりの臨時ドラムをやったらしいが、くるりにはもったいないよ。

祖母と叔母が来てくれました

仕事に忙殺されていたら、祖母と叔母がくだものを持ってきてくれた。
桃・梨・梅干し・茄子・きゅうり・谷中生姜等々・・・ありがとうございます。
生き返る。

ぜひきゅうりと谷中生姜をビールでいきたいところだけど、我慢。

梅干しは塩分濃度が6%というかなり甘口の超高級梅干しで、我が家の食卓にはもったいないので半分ずつ食べるのだがいつのまにかもう一個食べてしまうほどおいしい。自分で購入しようと思えるような値段ではないのが悲しい。

桃はうちでも買っていたのだけど、かなり固かったのでまだ熟れさせていたところ。
今日いただいた桃から食べ始めました。うまい。

明日は矢野顕子のライブがブルーノートである。行けるのかな。。。

裁判所へ行ったんだよ

今日は下崎君の公判日。10日と聞いてはいたもののすっかり忘れ、朝から仕事に没頭していたらメッセンジャーで「今日、裁判の日」と一報が。10時AM。公判は13:30からだったので慌てて仕事に目処を付け、着替えて駅へ走った。

ひさびさのオン・ステージである。見逃す手はない。

丸の内線霞ヶ関A1出口を出てすぐ、東京地方裁判所の入った合同庁舎がある。高等裁判所なども併設されているようだ。エントランスはさすがにこのご時世、持ち物チェックが行われていた。テロのせいかと思ったけどそれじゃなくても裁判所は持ち物検査が必要ですよなと納得した。被害者の親近者が被告に刃物をつきたてないとも限らないのだ。それも今回公判があった小さな法廷などでは、被告や被疑者・弁護人・検察官・裁判官・書記官などといった裁判の主役達との距離が非常に近い。もし傍聴席まで刃物を持ち込めたら、被告人席まで誰にも制止されずに到達することは十分可能だろう。というわけで僕のカバンの中にあるいろんなゴミも見られてしまったようです。

さて、入ってみるといろいろなグループがいる。あとで聞いたところによると怖そうな人たちがいたりもしたらしいけれど、僕が見たのはゼミの学生っぽい集団と会社の同僚っぽい集団と弁護人グループなど。中央受付では当日行われる公判の簡単なリストがあり、高等裁判所のリストを見たら「業務上横領教唆」などという微妙な感じの重大犯罪風の項目が並んでいた。地裁のリストはゼミ集団らしき連中に独占されていたのでまあいいやとおもい、法廷の場所は聞いていたのでまっすぐそこへ向かう。

そこではひとつ前の公判が行われていて、いましも裁判官が判決を読み上げているところだったようだ。二万円の小額の窃盗だったらしいが、前科10犯とやらで速攻実刑になっていた。被告人の初老の男性もごく当然といった体で裁判官の問いかけに即答。ちょっと怖いアングラな世界を垣間見た。

そうこうしていると宇田君が合流。証人をするらしい下崎の同僚花田さんもすでに法廷入りしていた。
我らが被告人の下崎君は、数日前までロッキンオンジャパンフェスでこんがり焼かれ、鼻の頭が真っ赤にズル剥け。つーか宇田ちゃんと花田さんも三日連フェスという無茶日程に挑んだらしく、3人とも真っ黒。色黒と言うには痛そうに焼けすぎていることに目をつぶれば、ホストの刃傷沙汰裁判なのかと思ってしまうところだ。痴情のもつれ、ということばが頭をかけめぐったが関係なかった。

そして裁判が始まる。傍聴席には僕らの他に2人の若い女の子が入ってきた。あまりに普通すぎる感じからいって中大あたりの法科の学生だろうか。ちいさいメモ帳にメモをとりはじめた。裁判所では写真やビデオ撮影や録音は禁じられているが、紙に何かを書くのはいいのだ。スケッチブックを持っていこうと思っていたのだが、急いでいて買う暇がなかったので仕事で使っているメモパッドに僕はスケッチを始めた。
このあとはとにかく長くなるのでまた気が向いたら書くことにする。溜まる仕事を置き去りにして裁判所行ったので、まだやってる。
証人として証人台に立つ花田さんと、天を仰ぐ下崎
中央奥にいるのが裁判官、左下が書記の人、左の下崎の後ろが弁護士の先生。

検察の人

検察官も裁判官も女性だった。

総選挙

郵政事業民営化が本当に必要か?
という疑問の出方というのはけっこうおもしろい。これを問うと、とくに政治に関心のない僕のような人は「どうでもいいよね実際。なんか生活に関係ある?」という反応が出力される。これを以て郵政民営化反対派は「ほら、必要ないと思うでしょ?」という結論を導き出せたと言うのだが、実はさらに致命的な実情の反映なのだ。

「どうでもいい」というのは「郵便局なんてどうでもいい」という意味に他ならない。黒猫が自宅まで来てくれる、コンビニで小包が出せる、スキー板やゴルフバッグまでコンビニに預けられるいま、必要がなきゃ郵便局なんてつかわねーから。
では「必要」とは、「郵便局が必要なシーン」とは何か。そりゃ郵便小額為替とか郵便しか受け付けない(ような気がする)願書を出すときとか、そういうときは郵便局に行くよ。でも郵便局がなくればそういう需要そのものが消えちゃう。だからいらないわけ。

郵便にはユニバーサルサービスが必要だ、というのもその裏返しで、郵政事業が独占されているから公共性の高い窓口受付に宅急便を使いづらかったりするだけの話。郵便事業が国に独占されているという前提が「ユニバーサルサービスが必要」という幻想を生んでしまう。
ビジネスの通信シーンで郵便を利用するシーンなんて請求書送るときくらい。まずメールを使う。書類送付にdocやpdfやpptやwebからのフォーム入力が使えるならそれを使う。それでもだめなときに初めてバイク便や小包や郵便という手段が検討される。郵便局がなかったら請求書はどうするのか?
そりゃコンビニから佐川郵便を使って出すよ。あるいは黒猫郵便に電話して取りに来て貰う。あるいは、郵便事業を運営する民営企業が管理するポストに投函する。どれでもいい。

しかしもちろん、僕は郵政事業や国の家計簿をしっかり見たわけではないので、静香ちゃんや民主党の岡田ちゃんが言うようにかんぽの宿とか郵便局乱立は無駄遣いには当たらないのかもしれない。実際の計算まで調べている時間的余裕や政治的情熱や経済的メリットはないから、各々の主張の真偽はわからん、と断言できる。
だから僕は直感で小泉に票を投じるわけです。

今回ばかりは意思の主張の方向がはっきりしているので、候補人の顔や体重は気にしないよ。これは日本で初めて実現する総理大臣の直接選挙にほかならないのだもの。あとこの際、出血大サービスで公明党にも目をつぶってやる。

亀井・岡田・小泉のうち誰が総理大臣に適当か。亀井は今回はとりあえず目がないけども、対象としてはとりあえずこの三つの駒があるわけだ。

それぞれの信念に応じて、この3人のいずれかに投票すればいいと思うんだけど、ひとつだけ岡田と亀井に言えるのは、反論できずに人格攻撃始めたらその時点で終わりなんだよってこと。半年ROMってろ。

参考
小泉内閣総理大臣記者会見[衆議院解散を受けて]

やはりマスコミがひた隠しにする郵政解散の理由と争点

野外フェス

ゴッキンジョバンフェス夏が来ると必ず通過せずにはいられない、音楽の祭典。下崎はロッキンオンジャパンフェスに行っているが、我々はご近所版フェス。今年は二軒もハシゴしてしまった!こんな贅沢をしていいのだろうか。ビール片手に国立音頭、桜通り音頭というロコなナンバーに酔いしれていると、いつのまにか太陽は奥多摩の山々の向こうへ隠れてしまった。
日が落ちても会場は終始ハイ・ボルテージで、「ドラえもん音頭」がかかったときなどはちびっこたちが大挙して押し寄せて暴動が起きたのかと思ったほどだった。やはりこの熱気を体感しないと夏という感じがしない。

踊るちんちくりん写真はグルーヴィかつ激しいビートに踊り狂う観衆。
真夏の祭典は終わらない。

月が出た出た 月が出た ヨイヨイ
(中略)
あなたがその気で 云うのなら ヨイヨイ
思い切ります 別れます
もとの娘の 十八に
返してくれたら 別れます サノヨイヨイ

誰もが知っているメガヒット曲「炭坑節」で踊り疲れたあとは、太鼓のインストゥルメンタル・プレイでチルアウト。

皆満足気な顔で焼きそばを食べていた。

猛暑お見舞い申し上げます

とっても暑いです。
クーラー稼働させてますが台所がものすごい熱気に包まれるので騙し騙し使っています。
濡れタオルを使えとさおに言われたのでやってみます。

昨日、mixi経由で雅人から連絡がありました。
懐かしい。

book:揺籃の星

なんだか近所の古本屋が僕の購買パターンを知ったのか、創元SF文庫のJ・P・ホーガンが大量に補充されていた。ハヤカワSFも結構増えてきた。ぜひニーヴンを補充して欲しいところだ。
ホーガンについてはガニメデ三部作に加え「創世記機械」まで読んでしまい、いいところも悪いところも(どちらかと言えば悪いところが)見えてきて食傷気味ではあったのだけど、「ハード+パニックSF」という帯の文字にB級SF好きの血が騒いでしまいついレジに持っていってしまった。これはホーガンの邦訳済みでは最新作で、「金星は木星から生まれた彗星だった」というネタを背骨に持つ。元ネタについては少々うるさいが版元に解説が載っているのでそちらをどうぞ。

読んでみると、ホーガンでは「星を継ぐもの」と匹敵するほど読ませる。読みやすくスムーズに話を進めほころびを見せないあたり、こちらのほうに軍配を上げたいという気もする。しかしクライトンばりのパニックアクション小説としてのあざとい狙いが見え見えではあるし、「月面で発見された真っ赤な宇宙服を来た人間は、5万年前に死んでいた」という背筋がぞくっとするようなミステリーで幕を開けた「星を継ぐもの」と較べてしまうと、こまごまとした部分の高い完成度を考慮してもやはり今一歩及ばない。1999年に地球滅亡もの書いてるあたりがいやらしいし。

この人の本はどれをとっても科学に対する信仰心に溢れている。また迷信や、科学への無理解に対する敵意に満ちており、科学的な思考ができない者、しない者、迷信を信じるもの、そのようなものを徹底的に糾弾する。しかし一方で新しい本になればなるほどキリスト教にはごまを擦る回数が増えてくる。アメリカの作家にしてはがんばっているけれど越えられない一線というものはあるのだな(っていうか一時期こいつ確実に踏み越えて何かあったよね)と思わせてくれる。

いちおうこれは三部作らしいから出たら新刊で読んでしまうだろうな。でも映画化されても映画館には行かないというその程度だと思う。「デイ・アフター・トゥモロー」がこけた今、いまさらこういうのがハリウッド映画化されるとも思えないけれど。