当たり前のように知っていたはずのことなのに、わからなくなってしまっていたのか?
目前で結婚式を挙げている人物は、単につきあいが長いというだけの幼なじみではなく、僕にとってはかけがえのない、小学校も中学校も高校も大学も違うのに、27年の人生のうち24年もどちらからともなく連絡をとりあい、知己でありつづけた親友であるということを、僕は唐突に決定的に理解した。
幼稚園の卒業時の写真がスクリーンに大写しにされ、腕白小僧を絵にしたような園児であった彼と、割れるように笑っている彼の妹に挟まれるように、当時の僕が立っているのを見せられなかったとしても、僕は涙を止めることができなかったであろうので、流れるにまかせておいた。
言うべきことばがいくつもある。
あんさんの親友はあんさんの幼馴染みで、わてが見るトコ人として対局に位置する気質の男や。つかず離れずの存在は、意識下で強烈にあんさんを刺激しとったんかもしれしまへんや。
洟を垂らしながら共に遊んや幼い頃の写真を見たとき、一気にそのつながりの深さを直観して情緒を揺さぶられはったことは、想像に難くおまへん。素晴らしい親友をもてて幸せもんやな。よかったよかった。