精霊流し

P1000369_s.JPG 昨日、文子と「悲しさ」について少し話した。いつの頃からかもうわからなくなっているが、確実なのは母親を亡くす以前から、僕は喜怒哀楽の感情のうち「悲しさ」という感情を別格扱いし、僕なりに大切に扱ってきた。
 家で飼っていた動物が死んだり、生活の上で悲しいことがあったりしたときに、人とその悲しさを共有するという選択肢があることは知ってはいたはずだが、僕はその選択肢を取ることがあまりなかったように思う。ひとつは人とその感情を共有するのが難しいと思っていたこともあり、ひとつは「悲しみ」という感情に利己的な臭いを感じていたからでもある。
 飼っていた動物が死に、それが悲しかったときに、僕はたいてい1人になった。1人になる場所はそのときどきだったが、その動物を埋めに行った場所であったり、自室であったり、家の近くの人気のない緑地公園であったりした。自分がこんなに悲しいのは死んでしまった動物を悼んでの気持ちよりも、動物がいなくなってしまった事実が自分にとって悲しいからだ、ということに、随分小さな頃から悩んでいた気がする。それで僕は人が悲しむのを見るのも嫌だったし、人に悲しんでいる姿を見せるのも嫌いだった。
 母親も父親もそうであった気がする。過剰に生き物と関わろうとする性格により、母は動物のために涙を流すことの多いひとであったが、病気の仔猫を胸に抱いて介抱しているとき、巣から地面に落ちていた小雀を猫が痛めつけてしまったとき、母の悲しみには微かだが強い怒りが伴っており、僕はそこに立ち入ることを避けた。父は悲しさを表に出すことが滅多にないが、代わりに少し怒ったように見えることがある。表に出すにしても無口になり、それについて話すことはあまりない。あまりないっていうか全くない。母が死んだとき少し話したが、二言三言である。僕は悲しさと対峙する際の沈黙を覚えた。僕の悲しさとのつきあいかたの素地はこのように形作られたものであると思う。
 大人になった今でもあまり変わっていないが、多少は説明や言い訳を加えるようになり、幼い時に感じていた後ろめたさは消えた。人と他者との関係を関係性そのもので捉えるようになり、存在に必要以上の重きを置かなくなったことが転機であったと思う。
 しかし今でも他者に悲しさを慮られたりすると、モゾモゾとした違和感を感じてしまうことはよくある。ほとんど自分と相手の関係性における対話として悲しさを捉えてきたので、そこへ違うベクトルが加わるとどう扱っていいかよくわからないのである。だから僕は弔辞が嫌いだ。葬式というものは参列者と送られる死者とが現世での相互関係に終止符を打つ場所であって、遺族にしても同じだと僕は思っている。参列者が遺族に向けていう「モゴモゴ」という言葉にならない弔辞は言葉にならなくてよいのであり、あれは挨拶以上の意味を持ってしまってはいけないというのが僕の正直な気持ちだ。
 そういう意味で、盆踊りというイベントは決して悪くない。自分と、逝ってしまった誰かの間につかの間のコネクションを確立するための踊りは潔い。そこにはそれぞれ一本ずつの絆しかないから。